たまには真面目な考察でもしよう。(長文注意)

たまには真面目な考察でもしよう。

最近まともな日本語を書いていないのでリハビリがてら
思ったことをまとめようと思う。
はっきり言って日記としては長いし、読みづらい文章だと思う。
要点はニコ動のURL以下に全部まとまってるので
上の部分の蛇足は無理に読まなくてもいいよ。
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漫画や映画が原作となっているゲーム(以下キャラゲー)は多くあるが、
その大半がいわゆる糞ゲーに分類される。

特にFC〜SFC時代にその特徴は顕著に見られるのではなかろうか。
アメリカにおいてはアタリ2600の時代から
映画やアメコミのゲーム化が行われていたのでさらに歴史は古いといえる。


これはあくまで個人的な見解だが、最近その傾向が変わりつつあるように思える。
初代PSの頃から若干の上向きが感じられ、最近のPS3XBOX360等の次世代ハードで
より確実に改善が見られるようになった。

AVGNことジェームズ・ロルフ氏が映画のレビューにおいて、
「娯楽映画に人生観だとか感動だとかは必要ない。ポップコーンが進めばそれで良い」
という旨の発言をしているが、個人的には非常に共感が持てる。

キャラゲーにおいてもこれは同様であると思う。
ストーリーや設定は原作に忠実であり、プレイヤーがいかに主人公、あるいはその原作世界
の住民になりきって「ごっこ遊び」ができるか、という点が最も大事なのではなかろうか。
ロルフ氏に習えば、ゴジラのゲームでは怪獣同士が戦い、街が破壊できればそれで良く、
スターウォーズのゲームならばライトセイバーでチャンバラができて、Xウィングでのドッグファイトが楽しめれば良いのだ。
無論ゲームの完成度が高いに越したことはないが、前述の条件をないがしろにしたままでは
どんなにゲームが面白くても、それがゴジラスターウォーズである必然性が失われる。
第一、そういったゲームを買い求めるユーザーが最も望んでいることは
そういった原作の再現ではないのだろうか。

つまり、面白いキャラゲーを作るには、まず原作を再現することが必須に思える。
その上でゲーム部分も面白くせねばならないのだから一般のゲームに比べるとなんと作るのが難しいことか!



しかし残念ながら古き良き日のゲーム機は、何かを「再現」するという点では
現行機にはるかに劣っていた。

ここで多くのゲーマーからこういう指摘を受けるだろう。
「8bitや16bitのマシンでも我々は世界観にハマり、主人公やその世界の住民になりきった。
 ゲーム性がしっかりしてさえいれば面白いキャラゲーは作れる。ハードの性能に甘えるな」

これも大いに賛同するところだ。この文章を書いている私自身、FCやSFCのドット絵ゲームで育ち、
今からすればみすぼらしいドットの世界からあらゆるものを想像し、補完していた。

だがキャラゲーと一般のゲーム、そしてその両者のユーザーの間には大きな違いがある。
それはプレイヤーがゲームを始める前に持っているビジュアルイメージである。

マリオ、ドラクエ、FFなどドット絵というハンデを持ちながら独自の世界を構築し、
世界中のファンを魅了したゲームは数多く存在する。
だがそれらの世界はユーザーの頭の中にお手本が存在しない、無論
「○○のようだ。」「××っぽい。」
等といった曖昧なイメージはわくかも知れないが、ユーザーは「○○のゲーム」を買ってきた訳ではない。
故に、ユーザーはドット絵等のわずかなファクターを元に自分なりの世界観を構築する。
このプロセスは小説を読みながらキャラクターの顔や風景などを想像する過程に似ている。
その結果、ユーザーは主人公や住民になりきり、足りない部分は想像で補いつつプレイに没頭できる。


一方、漫画や映画が原作となったゲームにおいてはこのような条件は当てはまらない。
何故なら購入者の大半が原作のファンであり、頭の中に完成されたビジュアルを持っているからだ。
さらに言えばその世界の「お手本」がコミックやフィルムとして存在している。
こういった人々がキャラゲーをプレイするのだから、その再現が完璧でなければ当然違和感を覚えるだろう。
よって、ゲームにおける原作の再現がある程度できているのなら、多少ゲームとしての出来が悪くても
購入者は有る程度の満足を覚えると思われる。

逆に言えば、ゲーム部分が如何に完成度が高くても、原作の再現がないがしろになっていては
原作の名前を冠する必要もなくなる。



スーパーロボット対戦(以下スパロボ)を例にとって考えてみよう。
大戦略を始めとするコアな戦略ゲームのファンにこのゲームをプレイさせてみたとする。
恐らく大半の人が
「戦略性が少なくつまらない」
「ゲームの進行が強引だ」
等といった感想を述べるだろう。

しかしこのゲームをロボットアニメのファンがプレイすると評価は変わってくる。
スパロボシリーズのウリは作品の垣根を越えた競演であり、
ロボットアニメ好きなら一度は夢見るようなシチュエーションを見事に再現してくれる。
「とうとう○○が参戦した!」
「××と△△を同じ部隊に編成したぜ!」
歓喜する人が多いのではなかろうか。

無論ここまでシンプルに意見が分かれるとは思えないが、大まかに分ければこの2種類のリアクションだろう。

そして多くのゲーマーは
「ゲーム性が欠落している。こんなのはゲームじゃない」
とご立腹である。これに関しては全く同感である。

これがキャラゲーを作るうえで最も難しい点であるといえるだろう。
原作付というだけでゲーム製作のハードルが上がってしまう。
原作の再現とゲーム性の両立ができれば、真に面白いキャラゲーができるのかもしれないが、
二兎を追うものは一兎をも得ず、といわれるように、大半のゲームがどちらかの条件を崩壊させている。

しかしながら、ゲームはあくまで市場に流通する商品である。
当然数が売れるほうが望ましい。ファンがある程度満足して売り上げが上がるのならそうするべきだ。
現在のキャラゲーが、とりあえずある程度の原作再現をしておいて、ゲーム性は並程度(場合によっては並以下)
というスパロボタイプに落ち着いたのは、このためではなかろうか。
このスパロボ方式というキャラゲーバランスの見本のおかげかどうかは分からないが、
PS以降のキャラゲーはその昔のキャラゲーに比べてゲームとしての極端な破綻や、原作再限度皆無といったものは
流石に少なくなってきている。


ここまではゲームに詳しい人ならば誰でも考え付くところだろう。
ココからが本題である。
キャラゲーのクオリティは一端落ち着いたが、最近のハード事情によってまた変革が見られるようになった。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm8177480

何度もAVGNを引き合いにだすが、この動画は非常に参考になる。
動画を見れば大体のことはつかめると思うので手短に記述する。

ゲームの表現力が今日に至って、ようやく映画のそれに匹敵するようになった。
これによってキャラゲーにおける原作の再現というハードルはある程度下がったのだ。
無論高精細なCGを作るには予算がかかるが、しかるべき人員と予算を使えば不可能ではなくなったのだ。

動画にでてきたゴーストバスターズのゲームをSFCで再現できるだろうか?
技術的には不可能だ、故に独自の解釈でゲームを作り変えるしかない。
これが今まで問題だったゲーム性の低下や、最限度の低さにつながるのではなかろうか。

要するに、ハードの性能がようやくユーザーの要求レベルに追いついたので
今こそキャラゲーをまともに作る好機ではないかと言いたいのだ。
北米の会社はそこまで考えているのかどうか分からないが、
最近映画や漫画のゲーム化が加速しているように見える。
日本でもドラゴンボールやナルトなどの人気漫画をセルシェーダーを駆使してゲーム化している。

近い将来
キャラゲーは完成度が低い」
等というレッテルが無くなる日がくるかも知れない。

・・・というか個人的に期待したい。



追記:

古い時代のキャラゲーでもゲーム性と再現性を両立したものは確かにある。
幽々白書格闘ゲームあたりが良い例かもしれない。
これは原作の世界観が格闘ゲームにマッチしており、ナムコという実績のある
メーカーが手抜きをせずにきちんとゲーム化したという奇跡の元成り立っている気がする。

別に原作漫画を卑下するつもりは毛頭無いが、幽白のゲームなら
殴り合いの上、霊丸や黒龍波が放てれば大概の人が満足できる。
だからこそスタッフも格闘ゲームとしてんの出来に注力することができたのではなかろうか。


スターフォックスはいわずと知れた名作STGだが、
もしこれがスターウォーズキャラゲーだったらどうなっただろうか。
無論キャラグラフィックや戦闘機のモデルを差し替えての話だ。

恐らく多くの人はSTGとしての完成度に満足するだろうが、
原作ファンはライトセイバーでのチャンバラがないことに憤慨するかもしれない。

また、スターウォーズを知らない人にとっては店で見かけても興味すらわかない
という事態に陥る可能性さえありうる。


二つの課題をクリアすれば見事なエンターテイメントになりうるが、
それを果たしたところで売り上げが保障されているわけではない。
ハードルは高いが見返りは未知数である。

そんなキャラゲーの立ち位置が少しでも変わってくれれば良いと思う。
(無論近年のハードスペックの進化だけで全てが解決するわけではないが)